たんじょうびがちかい

 いつからだったか誕生日近くなると寄付をするようになりました。
 寄付のきっかけはRTAinJAPANというRTAのチャリティーイベントで寄付したのが最初だったと思います。
 寄付自体はもっと前にさかのぼってコンビニでおつり募金箱に直行させてたのが始まりだったか……。
 それからちょこちょこ寄付をするように。

 誕生日(月)に寄付をするのは、誕生日を祝われないから他の人幸せにしてやろう!というひねくれた動機だった気がします。私って家族からもそんなに祝われてないんですよね。誕生日の日は特別に食事が豪華になる程度で。
 子どもの時は誕生日プレゼントもらったりしましたよさすがにね。

 友達関係もパーティするタイプじゃなくて、祝われたことねえな……。
 とまあ、そういう理由から誕生日が近くなると寄付をしています。

 ゲームクリエイター桜井さんの動画の言葉じゃないけど、誰かが「少し」幸せになれればいいなと思っています。

 そのつながりでまああまりいいふらすようなことでもないからもうしないであろう話をば。
 寄付のスタンスとしては、誰かを幸せにするためとか人助けのためじゃないです。そういう気持ちでは投げないようにしてます。
 なぜかというと、人のためと考えるとそれはいつか自分に余裕がなくなった時、人のためにやってるのに役立っていないとか憤りを覚えてしまうからです。人間余裕なくなると人のためという想いは毒になっちゃう。

 あくまで自己満足のついでに誰かが救われたらいいと思っています。この言い方は、ちょっと不謹慎かな。
 何をするにしても自分のため。善いことするのも自分が気持ちよくなるため。
 
 確か善い行いをすると巡り巡って自分に返ってくるんでしたよね?
 ぐらい自己中心的に。
 自分のためであることは崩さない。

 あと天邪鬼なので感謝されると「感謝するんじゃねーーーーー!!やめろーーーーーー!!!!」ってなります。
 人は正義とか良いことに酔いやすいです。悪いことと自覚して悪いことしていることよりも、自分は正義と思ってズレた正義を信じてやまない方が厄介なことがあります。

 それぐらい人は正義が好きだと個人的には思っています。
 しかし、寄付はお金払うだけで自分の正義感が満たされて誰かがちょっと救われる。winwinだし、(寄付先が信頼あるところであれば)間違った方向になりにくいから自分の正義を満たすにはとてもちょうどいい行いだ!うわ!

 最近、「世界を少しだけ優しくする」というワードが気に入っていて来年の短編のキャラの信条に組み込んでいます。やめろ、勘違いするな!俺は優しい人間じゃない!

 でも私の寄付で世界が少しだけ救われたらいいなと思います。

 
 

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